ミステリの薀蓄

冬そして夜 S.J.ローザン  2008年10月19日
A.C.クラーク氏を悼む  2008年03月31日
深夜プラス1  2007年04月16日
女性私立探偵とか  2006年09月29日
我ときて遊べやココロの熱い読者(とも)  2005年04月08日
警官が主人公の探偵小説  2005年03月28日
日本のハードボイルド  2005年03月24日
美酒とミステリーの味わいと  2005年03月24日
フーダニット(Whodunit)  2005年03月18日
リドル・ストーリー  2005年03月18日

2008年10月19日

冬そして夜 S.J.ローザン

解説 山崎まどか

 ニューヨークのチャイナタウンで育った年若い中国系アメリカ人のリディア・チンと、アイルランド系の中年男性、ビル・スミス。二人の私立探偵が交互に主役をつとめ、互いに助け合いながら事件を解決していくこのユニークなシリーズも、これで8作目。この『冬そして夜』は2003年度MWA(アメリカ探偵作家クラブ)最優秀長編賞を受賞し、リディア&ビルシリーズの記念碑的な作品になった。
 ビルが語り部の今回は、彼の甥がニューヨークの警察に捕まったことから事件が始まる。ビルの妹、ヘレンの息子であるゲイリーはまだ15歳。アメリカン・フットボール部に所属する体育会系の真面目な少年だが、引っ越したばかりの土地で何かトラブルがあり、家出をしてきたらしい。くわしい事情を聞き出せないまま、ビルは一度は保護したゲイリーに逃げられてしまう。彼を探し出すヒントを見つけるために、ビルは疎遠になっている妹を訪ねにニュージャージー州の高級住宅街、ワレンズタウンに出かけるのだが……。そこで彼はティーンエイジャーの死体を見つけ、地元の高校の歪んだヒエラルキーやいじめを知ることとなる。果たして、この事件と甥の家出は関係があるのだろうか?
 舞台となるニュージャージーは、マンハッタンから見るとハドソン川を挟んで対岸にある。隣接しているにもかかわらず、ビルとリディアの主戦場であるニューヨークとはまるで雰囲気が違うのに驚く読者もいるだろう。ニュージャージーは非常に保守的な郊外文化が息づく地域だ。すぐそばに自由で風通しのいいニューヨーク、様々な人種やパーソナリティを受け入れる大都市があるのに、いや、だからこそ、余計に息苦しく感じる。ビルも調査の過程で、余所者を排除するワレンズタウンの閉鎖性に手を焼くことになる。
 ワレンズタウンは地元のハイスクールのアメフト部を街の誇りとしている。たかが高校の部活に、そんな風に思い入れるなんて異様だと思われるかもしれないが、これも地方の郊外都市にはありがちなことだ。いかつい防具や激しいタックルを特徴とするアメリカン・フットボールは、「男らしさ」にこだわるアメリカ人にとって、国技のようなスポーツである。アメフトのプロ・リーグといえばNFLだが、そこに辿り着ける者はごくわずか。地方では自分たちの地元のハイスクールのアメフト部こそが頂点であり、ヒーローなのだ。金曜日の夜は、街の人人がこぞってハイスクールの試合を見に行き、負ければ街の面子をつぶしたと、コーチや教師たちがなじられる。日本の甲子園の比ではない。こうした地方のコミュニティとアメフト部の関係は、よく映画の題材にもなる。ピュリッツァー賞に輝くライター、H.G.ピッシンガーによるノンフィクションを映画化した、『プライド/栄光への絆』(2004)を見れば、スモール・タウンがアメフト部にかける過大な期待がよく分かる。コミュニティ・ラジオはアメフト部の話題ばかり、コーチは街の有力者たちに招かれて采配に口を出され、警官さえアメフト部員たちの素行に目をつぶる。
 このような体質は街の結束を深め、子供たちが通うハイスクールに歪んだヒエラルキーをもたらす。ハイスクールを舞台としたアメリカの青春映画やドラマ、小説にはかならずといっていいほど、悪役としてアメフト部員がでてくる。彼らは肉体的に強いばかりか、街の大人たちに保護されている学園のキングであり、その権力は絶対なのだ。弱い者いじめや、軽犯罪に手を染めても、誰もとがめる者はいない。
 アメリカのハイスクールではアメフト部を中心とする体育会系の生徒、通称「ジョックス」が人気者の頂点であり、他の子供たちは、勉強が出来ても、別の分野で優れていても、学内やコミュニティで認められることはない。個性的な文化会系の生徒たちは頭でっかち(ブレイアニクス)と呼ばれ、オタク(ギークス)と呼ばれ、変人(フリークス)と蔑まれる。
 軍人の父親について海外で暮らし、早くにドロップアウトしたビルには、当初、そんなハイスクールの過酷さが理解できない。しかし、新聞部員のステイシーというインサイダーを得て、少しずつハイスクールの特殊なルールを理解していくようになる。
 ジョックスのいじめから逃れるには、彼らの仲間入りをして、学校で人気者の地位を得なければいけない。転校生である甥のゲイリーは当初、ワレンズタウンの高校の勢力図を把握できずに、「かっこ悪い」子供たちと友だちになったのである。それが思わぬ悲劇を呼ぶ。
 ハイスクール、そして閉鎖的なワレンズタウンにおける「人気者」の条件は、一元的な価値観が生み出したものだ。もちろん、学校から、そして地域から出て社会に踏み出せば、こうした価値観はガラリと変わる。しかし、バスでニューヨークに行くことすら想像できない田舎町の子供たちにとっては、その価値観が絶対的な意味を持っているかのように見えて、絶望を生む。実際、ワレンズタウンでは23年前にも、ビルが遭遇したのと似たような事件があったことが判明する。変わらぬ街の体質は子供たちに抑圧となってのしかかり、そのことに対する絶望が更なる事件を呼ぶのである。
 本書『冬そして夜』が発表される3年前の1999年、コロラド州の小さな街リトルトンのコロンバイン高校で、ひとつの事件が起きた。日頃からジョックスの生徒たちにひどいいじめを受けていた二人の生徒、エリック・ハリスとディラン・クレボールドが爆弾と銃を持って登校し、13人もの生徒・教師を銃殺した後に、自殺したのである。
 コロンバイン高校事件は全米を震撼させ、それを題材としたドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』(2002)も大ヒットを記録した。ただ、監督のマイケル・ムーアが銃規正法をテーマの中心としたため、ジョックスによる支配といじめ、それを助長する地方コミュニティの在り方という事件の本質は薄められた感がある。
 コロンバイン高校の事件以降、ハイスクールにおけるいじめと、学内で生徒が銃を乱射する「スクール・シューティング」を題材とする小説や映画が数多く生まれた。本書もコロンバイン高校事件に触発されたミステリのひとつだといえるだろう。しかし、スキャンダルを利用したと思わせるような、浮ついた煽情的なトーンは一切ない。むしろ、深い悲しみを感じさせる静かなムードが印象的である。
 巻を重ねるにつれて、少しずつ明かされていく登場人物たちのバックグラウンドを知ることは、シリーズもののミステリのファンにとって醍醐味でもある。今回は、今まで知られていなかったビルの家族との関係に焦点が当てられている。ワレンズタウンの過去の事件を探る内に、ビルは若かった頃の自分と両親の間に起こった悲劇、妹との断絶、更には妹の夫が自分に抱く憎しみと複雑な感情に立ち向かい、深く考えざるをえなくなる。
 ビルと家族の個人的な苦悩の歴史が開示されることによって、ハイスクールでのいじめという普遍的な題材も、コロンバイン高校の銃撃犯二人組、通称「トレンチ・コート・マフィア」を思わせるタイムリーな展開も、他人事ではない切実さをもって、読む人の胸にせまってくるのだ。
 事件は一応終結するものの、様々な問題と消せない傷、新たな断絶が生まれるラストは、かならずしもすっきりとしたハッピー・エンドとはいえない。そこに問題の大きさと向き合おうとするS.J.ローザンの誠実さを感じる。コロンバイン高校事件以降も、学校におけるいじめの問題は解決せず、トレンチ・コート・マフィアを真似たスクール・シューティングの事件は続発している。問題の根は深い。冬の空のもとに踏み出していくビルの姿に、これからどうやって子供たちを守っていこうかと考える真摯な姿勢が見てとれて、小さな救いを感じた。

2008年03月31日

A.C.クラーク氏を悼む

 もっとも偉大なSF作家のひとりで英国ナイト爵位を持つアーサー・C.クラークが、この3月19日、その後半生のほとんどをすごしたスリランカで亡くなった。享年90歳。20世紀半ばのSFの黄金期から半世紀ものあいだ、アイザック・アシモフ、ロバート・A.ハインラインと並ぶSF御三家として知られたが、中でも一番の長生きだった。

 彼の名前を世界的に知らしめたのは、キューブリック監督とともに作り上げた映画「2001年宇宙の旅」。類人猿だった時代から近未来まで、人類の知的進化を誘導したとおぼしき、謎めいた黒い石板モノリスが登場し、その正体を求め宇宙船ディスカバリー号が調査に赴くのだが、やがて宇宙船全体を制御するコンピューター「HAL9000」が発狂し、船員たちを殺害。ただひとり生き残ったボーマン船長は巨大な星の門をくぐり超進化を遂げ、スター・チャイルドに変身していく…。
 初公開の1968年からしばらくして、クラークの書いた原作を学生時代に読み、そのミステリアスな展開に引きつけられたものである。神ともいうべき超越的知性、人工知能、そして人類。三つの知的生命体が接近遭遇するドラマが展開する中で、手をのばせばすぐに到達できそうな、とてつもなくリアリティーあふれる宇宙船の様子に、来るべき未来像を生々しく思い描いて、心底あこがれた。壮大なる宇宙や大自然と卑小なる人類文明の対照を、どこかリリカルに歌いあげるクラーク節の、なんとかっこ良かったことか! それは、そのままSF世界への夢をかきたてた。
 世界の本質をつかみ、磨き抜かれた表現を惜しげもなく繰り出す背後には、あくまで精密な科学的知性が控えていた。
 17年に英国で生まれたクラークは、第二次世界大戦のころ空軍でレーダーの士官として活躍し、戦後はロンドンのキングス・カレッジで物理と数学を学んだ。通信工学、ロケット工学、そして天文学に造詣が深い徹底的な理系人間で、具体的な科学技術に関する想像力には舌を巻く。
 静止衛星の概念を構想したのは彼の功績だ。高度情報化社会の基本であるインターネット構想や海洋開発への提言など、わたしたちの生活のなかですでに使用されているものも多い。
 だから、すぐれた科学者がすぐれた詩人であることを身をもって証明するSF作家となったのは、当然だったろう。幼少時代からSFに魅せられたクラークは、宇宙と海に関する科学技術を総動員し、他の知的生命体と人類のかかわりを考察するSF小説で、絶大な人気を誇ることになる。
 最初に読んだ小説「銀河帝国の崩壊」の光景は、今も忘れることができない。侵略者に追われ、宇宙の果ての惑星へ逃げ込んで、砂漠のまんなかに尖塔を並べて滅亡しかけている人類文明の姿だ。そこにぽつんと人類最後の子供が登場する。今読み直しても、少子高齢化社会と温暖化が極限にまで到達した未来像を予見しているようで、胸を突かれる。
 しかしながら、終末的な文明も孤独な大宇宙の旅も、単に人類という存在の卑小さを知らしめるだけにとどまらない。宇宙の虚無に対峙しながらも、どこか優雅で勇気にみちた冒険家的な視点から、人類の未来を鋭く洞察したクラーク。その唯一無二の姿勢は、いつまでも人々の心をとらえて離さない。
小谷真理 文芸評論家

2007年04月16日

深夜プラス1

「地獄の読書録」小林信彦より
 晩春の候、デートの相手もなく、ひとり寂しくモノスゴク過ごしているかたに、“コレ!”というようなおもしろい小説を推せんしよう。
「深夜プラス1(ワン)」というのが題名である。なんだか、とっつきにくいタイトルだが、まあ、これがムチャクチャにおもしろい。
 スパイ小説? ちがう。
 本格物? ちがう。
 強いていえば、“冒険小説”とでもいおうか。サスペンス小説というより、古めかしい言い方がピッタリくる。「英国推理作家協会最優秀作品賞」を得た、なんてことは、どうでもいいが、最近、これほど、ハラハラドキドキさせたミステリイは珍しい。
 ケインという名の男が、友人に頼まれて、マガンハルトという大金持ちを、リヒテンシュタイン王国までとどけることを引き受ける。リヒテンシュタインは、先日、テレビの「ナポレオン・ソロ」でも舞台になっていたが、欧州一の小国である。×月×日までに、大金持ちはそこにたどりつかないと、会社を他人に奪われてしまう。
 そんな金持ちなら、ヘリコプターで、さッと連れてっちまえばいい、とお考えになるだろう。さ、そこだ。実は、この金持氏、婦女暴行のあらぬ疑いをかけられて、手配中の身なのである。
 この罪は、どうやら“敵”のデッチあげらしい。“敵”の目的は、マガンハルトの到着を妨害し、会社を乗っ取ろうというわけだ。地中海からリヒテンシュタインまで、“敵”はいろいろなワナを張っている。そのワナをくぐって、ケイン、マガンハルト、秘書のヘレン、それにアル中のガンマン、ハーベイの四人が一台の車で突っ走るというわけだ。
 ケインは対独抵抗工作の経験がある英国人で、頭が切れる。ピストルの方はハーベイが引き受け、欧州きっての殺し屋チームと対決する。
 一口にいってしまえば、これは「駅馬車」型の物語である。しかし、全篇のタッチはハードボイルドで、映画「プロフェッショナル」に近い味がある。
 途中に出没する敵味方の人間像もすこぶるおもしろく、なかでも、スイスに居住している情報屋の怪老人など、大衆小説のダイゴ味を味わわせてくれる。
 欠点を一つだけ指摘すると、“敵”の中心人物の正体が割れるのが、いささか早すぎることだ。もっとも作者ギャビン・ライアルは、そんなことより、西部劇とスパイ小説をまぜたようなスリルの盛りあげに重点をおいたのだろう。

2006年09月29日

女性私立探偵とか

V・I・ウォーショースキー サラ・パレツキー 私立探偵
キンジー・ミルホーン スー・グラフトン 私立探偵
ケイ・スカーペッタ パトリシア・コーンウェル 検屍官
ケイト・マーティネリ ローリー・R・キング 女性捜査官
テス・モナハン ローラ・リップマン 私立探偵
ステファニー・プラム ジャネット・イヴァノヴィッチ バウンティ・ハンター
マーシ・レイボーン T.ジェファーソン パーカー 女刑事
ニナ・ライリー ペリー・オショーネシー 女弁護士 『敵対証人』
カーロッタ・カーライル リンダ・バーンズ 私立探偵 『赤毛のカーロッタ奮闘する』
ハンナ・ウルフ サラ・デュナント 私立探偵 『裁きの地』
キャロル・ジョーダン ヴァル・マクダーミド 女性警部補 『殺しの儀式』
アイリーン・ケリー ジャン・バーク 新聞記者 『グッドナイト、アイリーン』
コーデリア・グレイ P・D・ジェイムズ 私立探偵 『女には向かない職業』
メイジー・ダブス ジャクリーン・ウィンスピア 女性探偵 『夜明けのメイジー』
ケイト・シュガック デイナ・スタベノウ 女性探偵 『雪どけの銃弾』
ロミリア・チャコン マルコス・M・ビジャトーロ 女刑事 『褐色の街角』
別格として
ジェーン・マープル アガサ・クリスティ 女性探偵? 『火曜クラブ』

2005年04月08日

我ときて遊べやココロの熱い読者(とも)

1978年10月、数十杯のバーボンソーダに酔わされてウルトラ・スーパー“オモシロ本好き”ミーハーこと内藤陳メは哀熱(アイツウ)と想いながらも、世界初の面白本平伏オススメ屋となったのである。
その初見世にこう書いた。
――ジャック・ヒギンズを知らない? 死んで欲しいと思う(ま、それから14年、今ではJ・Hも色々あるが、そのヒット(あたり)は某誌に書いた陳メのエッセイ『ワシは困ったのだ』をお読みくだされ)。ハッキリ言ってフソンなセリフである。あのコルトのジョーが聞いたなら顔の前で指を立ててツッツッと振りながらこう言うだろう「陳さんの一言ってのは命取りってことよ」ましてをや陳メ最愛の超一級スーパーエキサイティング国士無双冒険小説『鷲は舞い降りた』のあのクルト・シュタイナが、副官リタァ・ノイマンを筆頭としての“雄々しく優しさに満ちた愚か者”の部下たちに、そんなチンプなヤクザ映画じみたセリフを言うわけがない。良質の冒険小説に読む優れ者(もん)の男たちは<ココロとココロ>なのであります。されば陳メの冒険小説をオススメする<ココロ>のフレーズは「アタシは眠らない。アナタも寝かせない」
とあれば、だ。競馬“ダントツ”面白小説の王者我らがディック・フランシスの大長打(ブットビ)小説『利腕』にはこんなシビレルセリフがある。「自分が永遠に対応できず耐えられないこと、それは自己蔑視である」
主人公シッド・ハレーは、義手の探偵である。シッドは元騎手、レースで片腕を失ってしまった、そのコンプレックスがあるのだ。さらに元の職業柄、小男なのだ。家柄に対する負い目、あるいは妻を失ってしまったこと……etc、そこまで……と泣けるほどに自分にプレッシャーを抱え込んでいる、フツーの男だ。そのシッドが事件の中で、失った片腕どころか、もう一本の腕までも、悪漢によって奪われそうになる。その時のシッドの恐怖と心理的圧迫に、陳メのココロは千々に乱れるのだ。アア、アア、ついにシッドは屈服するのか……負けてしまうのか? と思うときにくり出すのが前のセリフなのだ。どうだどうだ泣かせるではないか。ニクイではないか。
男には、あらゆるものを奪われ失おうとしても、なお残すべき最後のココロがある!
陳メはソコを良質冒険小説に読み取っていただきたいのでアリマスゾ。
まだまだある。デズモンド・バグリイの『高い砦』だ。裏切り者のためにアンデス山中に無理やり不時着させられたアノDC-3。亡命した南米の元大統領を狙ってウンカのごとく襲いくる共産ゲリラ、手製の武器も力尽き、もはやこれまでと主人公。その時に元大統領が言う、「血が男の中に流れている限り、不可能ということはないんだよ」されば愛おしき読者氏(とも)よ。ギリギリのせっぱつまったところでも、なお踏んばり、強がりを言い、軽口を叩いてみせる。そんなヤセ我慢のヤツらにゼヒゼヒ逢ってやってオクレでないか、と平伏し、いざ、ともにゆかん。ココロの旅路へ!
日本冒険小説協会会長・内藤陳
(冒険・スパイ小説ハンドブック、1992年刊、ハヤカワ書房より)

2005年03月28日

警官が主人公の探偵小説

19世紀の終わりごろ、探偵小説が広く読まれるようになってから、その主人公として警官が本格的に活躍し始めるまでには、しばらく時間がかかったらしい。
シャーロック・ホームズものを例に挙げれば、あれに出てくるレストレードという警部は、どう見ても主人公の器ではなく、むしろ天才的名探偵の引き立て役であって、しばしば的外れな推理をして読者を笑わせる。
警官を主役にした探偵小説がなかなか出てこなかったのは、一つにはホームズ流の天才探偵の出てくる短篇が流行した時代がしばらく続いたからだろう。頭脳明晰な素人探偵と、愚鈍で冴えない警官という対比の図式は、金田一耕助のそばに轟警部がいるように、このジャンルではほとんど神話的なパターンになっている。
しかし、話をイギリスにかぎれば、警官を主人公にした探偵小説がなかなか発展しなかったのには、もう一つ理由があったという。これはT・J・ビーニャンというオックスフォードの先生(ミステリ作家でも会って、CWA賞にノミネートされたこともある)が唱えた説だが、要するに警官というのは社会的に中途半端な位置にいたというのである。もちろん、警官は単なる下僕ではなく、社会的地位も一般の労働者より上ではある。しかし、ジェントルマンではないし、事務員の犯罪を追及するように何々卿の犯罪を追及するわけにはいかなかったのだ。
それで思い出すのは、『月長石』に登場するカッフ部長刑事である。『月長石』が探偵小説であるなら、探偵が活躍しなければならないのだが、肝心のカッフ部長刑事は、縦横無尽に動き回るというわけにはいかない。ああいうふうに、妙に遠慮がちに捜査しているのを、前々からいぶかしく思っていたが、もしかするとあれは、ジェントルマン階級のお屋敷まで捜査に赴いた公僕の低姿勢をあんがいリアルに描いていたのかもしれない。
それに比べて、自由に動き回ることができる天才型の素人探偵なら、広い階級の人々を相手にすることもできる。だいいち、作家のほうもジェントルマン階級の出身者が多いわけだから、警官などを主人公にしたら、自分が一番よく知っている階級の人間を描くときにちょっと具合が悪いのだ。
そう考えれば、警官を主人公にした長編探偵小説の最初の傑作、『樽』を書いたのが、北アイルランド出身の鉄道技師で、ジェントルマン階級とは縁のなかったクロフツであったのも、決して偶然ではないだろう。いうまでもなく、1920年のこの作品では、地道な捜査を重ね、市井の犯罪をこつこつ解決してゆく警官がリアルに描かれている。
以後、クロフツ流の警官が登場する探偵小説が大いに流行した、ということになると話は簡単だが、作者の育ちという壁があったのか、残念ながら、どうもそうはいかなかったらしい。(中略)
警官というのは、イギリスのたいがいの作家には、どうも書きにくい存在であったらしいのだ。(以下略)
(宮脇孝雄「ミステリ・ハンドブック」ハヤカワ・ミステリ文庫より)

2005年03月24日

日本のハードボイルド

ずっと昔、都筑道夫氏がハードボイルドとは何かということをいろいろと説明されていたが、そのなかで、
「ずばり、日本にもハードボイルドの真髄をみごとに表現した言葉がある」
と書いておられたのを私はふしぎとよくおぼえている。
その日本の言葉とは何か? いわく、
「泣く蝉よりもなかなかに泣かぬ蛍が身を焦がす」
なるほどねえ――と私は膝を叩いたものだった。
お若い読者は、なんだ、そりゃ、都々逸にしては字が足りないじゃないかとおっしゃるかしら? あるいはもう、都々逸なんかはとっくに御存知なくなっているかしら?
これは文耕堂という人の書いた浄瑠璃『御所桜堀河夜討』の一節なのだ(さらにその出典は「山家鳥虫歌」という当時の俗謡)。原作は長いものだが現在はその大部分が廃曲となり、わずかに一シーンだけが今でも残っていて文楽や歌舞伎でたまに上演される。武蔵坊弁慶が将軍頼朝の命令を受けた上使として登場するシーンなので、ふつう、『弁慶上使』、あるいは原作の三段目だから『御所三』などと呼んでいる。
豪勇無双の弁慶に若き日に一夜だけをともにした恋人がいたことがわかる。ところが、そんな甘い想い出にひたっている場合ではなく、この場の弁慶は大変な任務を負わされている。彼の大切な主君義経が兄の頼朝から憎まれて謀反の疑いをかけられており、もし、義経が身の潔白を証明したいのなら妻の卿の君の首を斬って兄に渡せと要求されている。弁慶はその首を斬って頼朝に届ける役目をいいつかっているのだ。
まったく、昔は無茶なことを言ったものですな。でもその頃は民主主義も人権尊重もないんだから仕方がない。頼朝の命令は義経には絶対のものであり、主君義経の命令も弁慶にとっては絶対だったのです。
だからといってむざむざと主君の妻の首を斬って届けてしまうようでは忠臣の値打ちはない。弁慶はすばらしい替え玉を発見して、その首を斬る。十数年ぶりに再会した恋人が産んでいたたった一人のかわいい娘の首を。これはまことに冷酷非道な行為だ。その冷酷非道をオカミから強いられていたのが日本という国なのだ。大義のために愛児を殺した弁慶の胸のうちをせつせつと語ったものが、さっきの文句なのです。弁慶はオイオイ泣いたりゃしない。オイオイ泣くよりももっともっとつらい思いをじっと耐えつづけた……。
(小泉喜美子「ミステリーは私の香水」文春文庫より)

美酒とミステリーの味わいと

ミステリーのなかの美酒というと、どうしてもハードボイルド物、アクション物系統に面白いのが多く、以前にその方面に重点をおいて書いたのがあるので、さればここではいわゆる本格物、つまりやや古めかしい謎解き中心物にむしろ重点をおいてみようと思ったら、これがまたなかなかむずかしい。
(中略)
しかしながら、ミステリーとお酒となると、やはりこのように、毒を入れて呑ませる手段として使われているものが大半だし、また女流作家がそれを多く使っているのも女性の考えつく殺人手段としては一番穏当だからだろう。何せ、女は腕力が足りないので、力の要る殺害方法を想像したり実行してみたりするのが苦手なんですな。そりゃ、男の作家だって実行するのはよくないですが、そこで、自然、毒殺が幅をきかせるようだ。
でも、こういう定石をみごとに破った名作がロアルド・ダールの『味』。この作品はもはやこの種のもののなかの古典とされる。ダールは料理とミステリーの分野でも『おとなしい凶器』という傑作を残したが、あそこで使われる料理そのものは市井の主婦がオヴンにほうりこんで拵える平凡な羊の焼肉で、別に美食ではない。
ワインの通と称する男がその知識をこれみよがしに披露する。それだけならともかく、ついにこの男は一瓶のクラレットの銘柄をきき酒をするだけでぴたりと当ててみせると豪語し、成功したら主人役の愛娘を妻にもらい受けるという賭けを始めるのである。
いうまでもないが、グラスに一杯だけ注がれたクラレットの匂いを嗅ぎ、舌にころがし、咽喉を通過させるだけでその銘柄を当てるのは至難のわざだ。産地ボルドーのなかにサン・テミリオン、ポメロール、グラーブ、メドックなどがあり、それがまたいくつもの葡萄園に分かれている。
そんな賭け、できる筈がないのである。
にもかかわらず、この男がこれはメドック、そのなかのどこ? マルゴオか、ポイヤックか? いや、サン・ジュリアン。そして、そのなかのどこの葡萄園? ベシュヴェイユか、シャトー・タルボか……と一歩一歩、回答に近づいていくサスペンスはまさしく至芸としか言いようがなく、また、その結末にあっと驚かされる点でもこれは第一級、いや、超特級の美酒ミステリーなのだ。
ダールの好敵手スタンリイ・エリンの短篇にも『最後の一壜』(『ミステリ・マガジン』所載)という佳作があるが、なんといっても誰よりも先にこの種のミステリーを書いたダールの感覚がすばらしい。
こうしたしゃれた味わいこそ短篇ミステリーの特色で、だからこそこちらもそれを読んで、いいワインを飲んだときと同じような気分になれる。
長編ミステリーでは、そうですね、リチャード・コンドンの『ワインは死の香り』(後藤安彦訳・早川書房刊)を挙げておこうか。
これは楽しいですよ。ボルドー地方から大量のワインを盗み出すという、いわば他愛ないお遊び小説の底にひそめられた大人の娯楽の芳香のよさ! 美酒のみならず美食もともに登場するから、食道楽の読者にはうってつけではないだろうか。
ウィスキー、ブランデー、ワインと現れたので、この辺でリキュールでしめくくりたいのだが、アイラ・レヴィンの『ローズマリーの赤ちゃん』の夕食場面で飲まれるクレーム・ド・ミントあたりかなあ。赤ちゃんを欲しくてたまらない若妻ローズマリーはギブスンとこれを呑み、そのあと、よそからもらったデザートのムースに仕込まれた睡眠薬のためにぶっ倒れて、その夜、悪夢のごとき体験をする……。
とにかく、甘くて口当たりのいいものには御用心を。
そして、じつは、ありとあらゆるミステリーに出てきた飲酒のシーンで私がどれよりも気に入っているのはこの『ローズマリーの赤ちゃん』のパーティーの終わる頃の描写なのだ。
飲み疲れた男女が窓の外に降りしきる雪を眺めている。スコッチがもうとぼしくなっているが、その他はすべて上首尾。コーヒーを手に、都会で呼吸する男と女がこう話している。これはほとんど私の本音でもある――。
「今年こそ今年こそって、ぼくはいつもこの街から出る決心をするんだ」と、ヒュー・ダンスタンが言った。「犯罪と騒音と、ほかのなにもかもから逃げだそうと思う。そして毎年、雪が降り、ニュー・ヨーカーたちがボガート・フェスティバルをやり、そしてぼくはやっぱりここにいる」(高橋泰邦訳・早川書房刊)
(小泉喜美子「ミステリーは私の香水」文春文庫より)

2005年03月18日

フーダニット(Whodunit)

犯人さがしの意。映画でいう special effects(特殊映像効果)がSFXと略される類の用法で、Who had done it?(誰がそれをやったか)の省略形。誰が犯人なのか最後まで伏せ、それを中心的興味にする手法、またはそういう小説。転じて、犯行動機を問題にするホワイダニット、犯行手段が分からないハウダニットなどの言葉も生まれた。

リドル・ストーリー

結末をはっきり書かないで謎のまま終わらせ、読者の想像に委ねて二通り以上の解釈を生む作品。F・R・ストックトンの「女か虎か」をはじめ、J・モフィット「謎のカード」、S・エリン「決断の時」などが代表で、そのいくつかは紀田順一郎編『謎の物語』(ちくまプリマーブックス)に収められている。長編では、カーの『火刑法廷』が二通りの結末を用意している。

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