用語解説

MI5(エムアイ5)  2005年05月02日
スぺツナズ(特殊部隊)  2005年03月18日
モサド(情報機関)  2005年03月18日
SIS/MI6(情報機関)  2005年03月17日
KGB(情報機関)  2005年03月17日
CIA(情報機関)  2005年03月17日
SAS(特殊部隊)  2005年03月16日
デルタ・フォース(特殊部隊)  2005年03月16日
リボルバー  2005年03月15日
サブマシンガン  2005年03月15日

2005年05月02日

MI5(エムアイ5)

イギリス国内での外国スパイの摘発、破壊活動や国家機密の盗難防止にあたるMI5は、内務省に対して責任を負う。ただしMI5には逮捕権がないので、外国スパイを発見した場合は内務大臣を通じて警視庁特別保安部の出動を仰ぐことになる。
MI5の最大の敵はソ連情報部だが、1970年には、長官ロジャー・ホリス自身がKGBの内通者だったというスキャンダラスな疑惑が持ち上がった。この疑惑は結論が出ぬまま、73年のホリスの死によって立消えとなったが、近年、この疑惑を内部告発する書『スパイキャッチャー』(朝日新聞社)が出版されたとき、当時のサッチャー首相が英連邦内での発禁処分を求めて法廷闘争に踏み切った。

2005年03月18日

スぺツナズ(特殊部隊)

ソ連国防軍の最精鋭部隊スペツナズ(正式名称は特別任命部隊)はGRUの管轄下にあり、敵国への潜入、要人暗殺、情報収集、軍事拠点への破壊工作などを主たる任務とする。約三万名の隊員はいずれも優秀な運動能力の持ち主で、オリンピック選手も少なくない。その訓練は各種サバイバル技術の修得、パラシュート降下、格闘技、スキー、登山、西側諸国の言語学習など、きわめて多岐にわたる。そのなかにはボタンを押すと刃が10メートル先まで飛んで相手を刺殺する、通称“スペツナズ・ナイフ”なる凶器の使用訓練も含まれている。
チェコ動乱やアフガニスタン侵攻などソ連の大規模な軍事行動では、主力部隊の到着前にスペツナズが重要拠点を占拠していたことが確認されている。また理由は分からないが、小型潜水艇を用いて頻繁にスウェーデン領海を侵犯することも知られている。ソ連によるスウェーデン侵攻を描いたスチュアート・ウッズの『潜行』はここから着想を得たもので、スペツナズの恐るべき作戦能力を描いて世界に衝撃を与えた。

モサド(情報機関)

イスラエルの情報機関の中核をなすのは対外情報機関モサド、軍情報部のアマン、一般保安機関のシャバクである。モサド創設は、イスラエル建国に先立つ1937年。その主任務は非合法移民の大々的実施と、入植地を守るための武器の入手、そして強力な情報機関の建設であった。モサドの優秀性は、半世紀以上にもわたるアラブ諸国との闘いの歴史が証明している。
モサドの名を一躍高めたのは、1960年のナチ戦犯アイヒマン逮捕事件である。その後もイラクからのミグ21戦闘機“乗逃げ”事件や、フランスからの魚雷艇奪取などにより、「世界最高の情報機関」の名をほしいままにしている。1968年にはフランスのマルセイユ港に停泊中の貨物船から原爆製造に必要なウラン鉱石を盗み出すことにも成功し、これによりイスラエルは核保有国となった。この事件をもとにケン・フォレットは『トリプル』を発表した。

2005年03月17日

SIS/MI6(情報機関)

英国の諜報組織のなかで、もっとも有名なものはMI5とMI6だろう。MI5は国内における防諜を担当し、MI6は国外での情報収集を担当する。前身は軍事情報部の第5課と第6課で、名称のMI(Military Intelligenceの略)は、ここに由来する。
SIS(Special Intelligence Service = 秘密情報部、特別情報部などと訳される)やシークレット・サービス(米国の要人警護隊と混同しないように)の別名でも知られるMI6は、アメリカのCIAと同様の任務を持った文民組織である。その名を世界に知らしめたのは、イァン・フレミングの007シリーズの成功と、ソ連の二重スパイ、キム・フィルビーの亡命事件だろう。MI6本部で対ソ工作の責任者だった人物が、こともあろうにKGBのスパイだった事実は、英国情報部にはかりしれない打撃を与えた。G・グリーンの『ヒューマン・ファクター』、ル・カレの『パーフェクト・スパイ』などを読むと、この事件がイギリス人の精神構造に、いかに大きな影響を及ぼしたかがよく分かる。
MI6はMI5とともに首相が主催する合同情報委員会の管轄下にあり、外務省に対して責任を負う。
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現在、MI6の正式名は「Secret Intelligence Service; SIS」、MI5の正式名は「Security Service; SS」と言うようです。このSISのオフィシャルサイトがあって、その歴史なども載せられています。
http://www.mi6.gov.uk/output/Page79.html

KGB(情報機関)

世界最大の情報機関が旧ソ連のKGB(КГБ = Комитет Государственной Безопасноти = 国家保安委員会)だったことは疑問の余地がない。その組織は九つの管理本部(総局と訳される場合もある)からなり、その任務はソ連邦の安全保障に関するあらゆる問題にかかわっていた。海外でのスパイ活動は第一管理本部が統轄した。国内の外国人監視およびスパイ活動防止は第二管理本部が、反体制分子への浸透は第五管理本部が受け持っていた。またKGBは、20万の兵力を擁する国境警備隊を傘下に収めていた。
ソ連国内でKGBのために働いていた人員の数は、一説には175万人とも言われる。コの他に外交官、ジャーナリスト、アエロフロートの乗務員などとして海外に派遣されているKGB要員は30万を数え、さらに東欧諸国の秘密警察要員10万人も、実質的にはKGBのために働いていた。この膨大な人員を背景として、KGBはソ連邦の内部で共産党、国防軍とならぶ強大な政治権力をふるっていたのだ。
連邦制度の崩壊にともない、連邦KGBも“解体”されたが、その権限と財産は下部組織であったロシア共和国KGBにほぼそっくり移管されたにすぎない(ロシア共和国KGB議長は連邦KGB議長の兼職であった)。共産党の活動を禁止したエリツィン大統領も、KGBと国防軍の二つの聖域には手を出せなかったのが実情のようである。

CIA(情報機関)

アメリカ中央情報局(Central Intelligence Agency)の略。本部はバージニア州ラングレー。OSSにかわり1946年に設置されたCIG(中央情報グループ)翌年改称したもの。初代CIA長官はロスコー・ヒレンケイター提督。現職のブッシュ大統領の父は1976年1月から翌年3月までCIA長官の地位にあり、局内では「もっとも成功した長官の一人」と評されている。
イランやグァテマラでのクーデター、U2機でのスパイ飛行、カストロ暗殺計画、ピッグス湾侵攻事件――CIAは大統領の手足としてスパイ活動を行ってきた。だが1970年代、上下両院がCIAの活動内容の究明に乗り出した結果、数多くの非合法活動が暴露されることになる。米国議会はCIAの予算を60パーセントに、秘密活動の要員数も10分の1に削減した。しかし米国の威信回復をスローガンに掲げるレーガン政権の下で、再びCIAの権限は強化された。この時期のイラン=コントラ武器不法取引疑惑はTVでも紹介された。
CIAを知る格好の資料としては、B・フリーマントルの『CIA』(新潮選書)がある。これは『消されかけた男』で知られるスパイ小説家が、豊富な資料と綿密な取材をもとに著したノンフィクションだ。著者の職業柄、いささかCIAを擁護しすぎている印象を受けるが、それは仕方あるまい。姉妹編『KGB』も邦訳されている。
CIAの職員数は1万6千人とも1万8千人とも推定されるが、これには国外で活動する外国人エージェントは含まれていない。

2005年03月16日

SAS(特殊部隊)

世界最強の特殊部隊と言われるSAS(英国陸軍特殊空挺部隊 = Special Air Service)が創設されたのは、第二次大戦中のことである。SASはアフリカ戦線に投入され、ロンメル元帥麾下のドイツ軍の背後でゲリラ戦を展開し、多大な戦功を挙げた。戦後いったんは解体されたが、英国が植民地紛争に揺れると再び編成され、マラヤ、オマーン、ボルネオ、アデン等を転戦した。
これらの植民地紛争が終わる頃、SASは北アイルランドに投入され、IRA(アイルランド共和国軍)を相手に対テロ活動を展開することになった。この経験は、1980年5月のロンドンのイラン大使館人質奪還事件で発揮された。テロリストが立てこもる大使館に突入したSASは、5名中4名のテロリストを射殺し、人質を全員無事に救出した。SASの死者はゼロだった。その後、フォークランド紛争でも最前線で行動し、アルゼンチン軍に大きな損害を与えた。
SASを贔屓にしている冒険小説作家は数多い。そのほとんどは、当然のことながら英国人作家だ。たとえばギャビン・ライアルは「影の護衛」以来、元SAS少佐ハリイ・マクシムを主人公とする<マクシム少佐シリーズ>を書き続けている。またジャック・ヒギンズも「エグゾセを狙え」の主人公トニイ・ヴィリアーズSAS少佐を、その後の作品でも何度か登場させ、重要な役割を演じさせている。彼らの筆致からは、SASが英国の威信を具象化した存在であることが読み取れる。
SASは正規軍所属の第22SAS連隊と、郷土軍所属の第21、23SAS連隊からなっており、司令部はヘリフォードのブラッドバリー・ラインズに置かれている。

デルタ・フォース(特殊部隊)

グリーン・ベレーよりもさらに隠密性の高い作戦行動に従事すべく創設されたのが、デルタ・フォースである。デルタは英国のSASを手本として創設された精鋭対テロ部隊で、その隊員数は百名強といわれる。だが、その初の任務は無残な結果に終わった。
1980年4月、イラン人学生が占拠するテヘランの米大使館へ突入し、人質にされている52名の大使館員を救出する任務がデルタに下された。だが、デルタの乗る軍用ヘリは、テヘラン南東の砂漠地帯で砂嵐と遭遇して飛行不能に陥り、作戦は中止。しかも撤退中にヘリと輸送機が衝突、8名の死者を出した。最精鋭部隊が目的地に到着すらできなかったことで、米国の威信は大きく傷ついた。SASがロンドンのイラン大使館で人質救出作戦を成功させたのは、このわずか10日後である。二つの特殊部隊の力量の差が、歴然と示された事件だった。デルタ・フォースが小説の中に登場する例は少ないが、J・C・ポロックの「復讐戦」には、元デルタ・フォース隊員が主人公として登場する。

2005年03月15日

リボルバー

はじめ拳銃は単発式で登場した。連発式になったのは回転式すなわちリボルバーからだ。初期のリボルバーはコルト・ピースメーカーのように一発ずつ、ハンマーを親指で起こしてシリンダーを回転させてから、トリガーを引くシングルアクション(SA)だった。
のちにメカニズムが進歩して、トリガーを引くだけでシリンダーが回転して撃てるダブルアクション(DA)になった。
しかし、トリガーを引くには力が必要で狙いも定まらない。練習が必要とされる。
リボルバーの長所は、機構の堅牢さとシンプルな点で故障が少ない。もし不発が発生した場合トリガーを引けばシリンダーが回転して次の弾をすぐに撃てるようになる。実弾を装填した状態で安全に持ち歩きもできる。
短所は装弾数が少ないことだがこれはどうしようもない。リロード(再装填)にも時間がかかる。しかし普通はたくさんの弾が必要になるケースはめったに無いだろうからこれで充分。

サブマシンガン

短機関銃ともいうサブマシンガン(SMG)とは、拳銃とライフルの間を埋める(拳銃の弾を使用する)兵器として第二次大戦に登場した。
ドイツ軍はボルトアクションライフルを持つ兵士に大量生産を可能にしたシュマイザー短機関銃を持たせて、最前線の火力を増大させた。ダンケルクからの敗走後イギリスでは急遽開発を進めて名短機関銃ステンマークを完成させた。
ソ連ではシュマイザーに啓発され71連発のドラム弾倉を装備した通称バラライカ、PPSh-41を開発して戦線に投入した。
遅れて参戦したアメリカはトンプソンを投入したが生産工程が複雑なため大量生産に向かず武器が不足し急遽新型のM3グリースガンを開発した。
グリースガンは朝鮮戦争、ベトナム戦争の初期まで活躍したがM14ライフルの配備によって次第に消えていった。
中東ではイスラエルがUZIを開発した。このUZIはコンパクトさと故障が少ない点から、世界各国の特殊部隊、警察で使用された。戦争の最前線からSMGは平和な街中で犯罪と戦う武器として利用され始めた。
60年代の後半、さらに小型化したSMGイングラムシリーズが開発された。コンパクトなボディに毎分1000発近い超高速の発射速度を備えたSMGで特殊部隊やスパイが使用した。
東側ではスコーピオンが開発されてテロリストなどの手で使われ、70年代、世界中でテロの嵐が吹き荒れた。
そんなテロと戦う対テロ部隊の手にあったのが、ドイツが開発したH&K・MP5だ。MP5は対テロのリーサルウェポンとしてUZIに代わって各国の特殊部隊、SWATで使用された。

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